Three position展-阿野義久・岩澤武司・原勉
会 期:2021/06/14(月) ~ 06/19(土)
休廊日:日曜休廊
時 間:11:30-19:30
愛知、岐阜、京都、それぞれの活動してきた愛知芸大油画専攻卒業の3人が卒業後それぞれに活躍。
三つのポジションから感じた作品を発表し、共鳴を試み2017年より毎年うしお画廊で発表しています。
阿野義久
『蒼風』と『薫風』について
日常的な風景から非日常的な情景や、自分の中の抽象的な形態を探す。
絵画創作の魅力とは個人の中にある抽象性と視覚世界の事物の双方を許容する二面性にあると思います。常に自分の生命の存在を問うことに重きを置き、瞼の裏に焼き付いた様々な光景を再現することで幻想的ともいえる風景を再現してきたつもりです。そこには自分を圧倒してくれる様な何か価値観や常識を覆す新しい出会いが必要であったはずです。しかし近年思うことは私にとって「非日常とは何か」ということです。その非日常とは私たちの記憶の奥深くに眠っているものであり絵画はそれらを揺り動かし目覚めさせて画面上に具体的な情景を再現することだと思います。
岩澤武司
自己の目の画像をそれに映る風景とともに「瞳景」と題して自画像として描いている。
目に映る画像は、自己の記憶としてそれを見た時の音声や気温などのその場の雰囲気を五感で捉えた情報や、それを見た前後の時間的な言語を伴った情報とともに脳内に何らかの物質の形で保存されているようである。それは、その物質の消滅かあるいはアクセスする神経経路の衰退で忘却されていくものもがあるものの、脳内には生れ出て目が見えるようになってからの膨大な画像が情報として蓄積されているはずで、その情報を経験という判断材料として自己の意思決定をしている一面もある。そしてそれは他者と共有することや保存することは、現代の科学の状況では不可能であり、それは自己の死とともに消滅することになるきわめて私的な画像である故、つまりそれは自己そのものであると捉えることもでき、それを描くことは自己の命の表現であると考えている。
重なって映る背後の虹彩の模様は、指紋と同じように自己を他者と判別するためのサインとなり、それを描くことが、この絵を自画像として成立させる重要なファクタ-ともなり、また、そのことでこの絵を絵画の自画像の歴史や文脈の中に組み込むことができると考えている。そしてそれは、生れ出た時から死ぬまで変わらない一人の人間の存在の証の自画像として、例えば若かりし頃から変わりゆく自己の姿を何枚も残したレブラントの自画像とは相対する絵画となりえるのではと考えている。
原 勉
言葉の種
実感を伴わない言葉が解体され、浮遊した状態。
解放感のあらわれ。新しく生まれてくるものへの期待感のあらわれ。
接木
接木とは種類の異なる木を接いで、ひとつの個体としたもの。
本作では尾形光琳の梅と、フリードリヒのオークを接いでいる。
東洋と西洋、平面と立体、抽象と具象、都市と自然などを念頭に
制作した。
Break off
細々とつながるもの、切れてしまったもの、消えていくもの…
人と人との関係が途切れてしまった様子。
植物記
上から下への時間の流れ。 発芽→成長→結実